紅茶文化を育む過程で犠牲になったこと

歴史・文化

砂糖入り紅茶といえばイギリスだけど、砂糖も紅茶もイギリスではとれないよね。。どうして、砂糖入り紅茶がイギリスの文化になってるんだろう?

僕は普段はコーヒー党ですが、ときどき無性に紅茶を飲みたくなるときがあります。「紅茶」というとイギリスですね。イギリスでは砂糖を入れて紅茶を楽しむそうです。僕はストレートなら無糖、ミルクティーなら砂糖を入れるタイプです。

しかし、イギリスでは伝統的に紅茶(お茶)も取れないし、砂糖も取れません。どちらも生産できないのに、それが国を象徴する文化にまでなっている。よく考えると、とても不思議なことです。

紅茶(砂糖入り)がイギリスの文化となるまでに、お茶は中国から、砂糖はカリブ海から持ってくるという歴史がありました。そのうち砂糖の原料となるサトウキビを栽培するためには、熱帯の広大な土地と安価な労働力が必要でした。イギリスにはそんな土地もなければ、労働力もない。

そこで欧州が開発したシステムが、カリブ海諸国の土地を開き、アフリカの黒人を奴隷と労働させる「プランテーション」です。イギリスは、ガラス玉や鉄砲などをアフリカに持っていって奴隷と交換し、その奴隷をカリブ海諸国で販売し、カリブ海諸国でサトウキビを購入し、サトウキビを本国に持ってくるという三角貿易で莫大な利益をあげながら、砂糖を調達しました。

つまり、イギリスが砂糖入り紅茶という文化を育むにあたって、カリブ海諸国への侵略と、アフリカの黒人の方々の奴隷化というシステムが必須の要素とされてきました。現在の文化は歴史の上に立っていることを強く感じます。

また、プランテーションは、広大な土地を必要とするため、カリブ海の島々の何もかもを切り開き、サトウキビ畑のほかは何もないような「モノカルチャー」と呼ばれる環境に変えてしまいました。この間、ヨーロッパ人たちの持ち込んだ病気などの原因により、カリブ海諸国の先住民たちはほとんど死んでしまいました。そのため、プランテーションが行われた島々では、景色も人も文化も、その前後で断絶してしまっています。

こうした歴史を経て、カリブ海諸国には現在、多くの黒人の方々(彼らのご先祖はみなアフリカから連れてこられました)が住んでいます。いったんモノカルチャー化したものの、そのモノカルチャーである砂糖プランテーションが奴隷制度の廃止により失われたので、全てがなくなってしまった。だから今も経済活動は苦労しています。歴史はまったく過去のものにはなっていないのです。

歴史には、「すべての歴史は現代史である」という言葉があるそうです。砂糖入りの紅茶は、この言葉の意味を強く教えてくれるように思います。

【参考文献】
川北稔「砂糖の世界史」(岩波ジュニア新書)

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